自分の体力に合わせて、気軽にハイキングを楽しむ集いです。年間3回実施します。
女性の参加者が多くなってきました。歩いた後の昼食会を楽しみに参加する人も目立ちます。
史跡めぐりを兼ねたミニ歴史探訪は、回を重ねるごとにご好評をいただいています。
 部会長:山田(STV) 世話人:出田(STV)越野(HBC)高谷(STV







参加者 HBC:内田、奥山、桑畑、越野、竹田、冨原、松田 
STV:岩倉、北上、古賀、佐藤、山形、山田夫妻(奥さんはゲスト)  
HTB:長谷川  賛助会員:伊藤、石井


前日の雨、そして当日の朝の冷え込みは何だったんだろう??? と、疑問符が三個も付くような、この上なく気持ちの良い小春日和のもと、10月19日に第68回歩く会が開催されました。 
 開拓の村エントランス(写真左)は、旧札幌駅のレプリカ
ビジターセンター(写真右)も、北海道開拓使庁のレプリカ

今回は、札幌市のミニ歴史探訪・第5弾「厚別区から北海道の歴史を見よう」と銘打って、厚別区の「北海道開拓の村」を訪ねてみました。ここは、ご存知の通り、道内の歴史的建造物を集積し、可能な限り原状回復して通年展示している施設です。
一日一杯滞在しても時間が足りないという方もおられる中、昼食までの一時間半でどれだけ見ることができるのか心配だったのですが、ボランティアのガイドさんの協力を得て、大まかな部分だけは見ることが出来たようです。



鰊御殿 旧青山邸

旧岩間家農家住宅には
大根が干されていました
心地よい天気のもと、野幌森林公園への取り付け道路を歩く一行
 
JR森林公園駅からの往復も、折から見頃の紅葉に目を奪われながら、普段は車からしか見ない風景とはひと味違った楽しみ方が出来ました。
殆どの方がリピーターで、当会でも10年ちょっと前に一度企画したこともあって、参加者は17名にとどまりましたが、紺碧の空の下、遠望に雪を抱いた手稲の峰を望みつつのひとときを堪能しました。
たった一つ気になったのは、構内を周回している馬車鉄道の「お馬さん」が、可哀そうな位に喘ぎながら車を牽引していたこと。
最近入ったばかりで不慣れなためとの説明を受けましたが、とても乗ってみようという気は起きませんでした。次回までに慣れて、悠然としている姿を期待したいものです。

会食は森林公園駅前のバイキング専門店。
シンジラレナイほどの値段で食べ飲み放題…でも当会の紳士淑女にはもうちょっと気の利いたところのほうが良かったかな…と若干反省している幹事でした。

越野幹事は、今後も徹底して札幌市のミニ歴史探訪に拘る由、折しも長沼会長の「僕は琴似屯田兵の子孫で、それなりに勉強しているつもりなので、西区の歴史探訪は任せておいてください」と言う心強い檄を頂戴して更に図に乗っています。来年はこの企画を是非実現したいと祈念しているところです。
(文:越野  写真:山田、越野)







参加者 HBC:内田、奥山、皆藤、桑畑、越野、竹田、冨原、長原、松田、松原
STV:井上、岩倉、佐藤、山田、山本  HTB:澤田、長谷川  UHB:難波
賛助会員:石井、伊藤  ゲスト:堀井、湊

北海道民放クラブ歩く会・第67回は、「札幌市のミニ歴史探訪・第4弾…白石区から中央区〜札幌の開祖・ふたりの豊平川の渡し守を偲んで編」と銘打って731日に実施しました。

集合場所である地下鉄菊水駅は、札幌の歴史の上では大変重要な位置づけとなる「白石遊郭」の真っ只中だった場所にあります。
遊郭が栄華を誇った時代には、現在の菊水22丁目の藤井ビル前と同52丁目の菊水公園前に大きな門があって、遊郭内と娑婆との境界になっていました。このことから、この通りは今でも「大門通」という名前で呼ばれています。
遊郭が現実だった時代は勿論知る由もありませんが、ここから2丁ほど離れた所で生まれ育った筆者が子供の頃には、既に遊郭は廃れ果て、廃墟となった建物の中庭を取り巻く回廊が我々の遊び場になっていたもので、その雰囲気の片鱗だけは子供なりになんとなく感じていました。

尤も例の法律の施行後も近隣の非合法地帯は相変わらず存在していて、小生が社会に出てからも、豊平側にはその筋の店が何軒かあったという記憶があります。

子供の当時は、日が暮れるまで走り回って遊んでは、二階の廊下を踏み抜いて階下まで落ちたりしたものですが、さすが昔の子供はそんなことくらいでは怪我などした覚えはありません。懐かしいやんちゃ坊主時代の思い出です。

一条橋たもとから豊平川の堤防に出て、豊平川右岸通と、河原越しに中央区のビル群を左右に見ながら南下すると、河岸公園にひっそりと見落としてしまいそうなモニュメントを見つけることが出来ます。よく見ると、表示には「有島武郎邸跡地」とあります。
ここは有島武郎が結婚後の1910(明治43)年10月から約1年間住んだ住居の跡地(実際には道路の向かい側)で、住宅そのものは、厚別の開拓の村に移転保存されています。

なお札幌にはもう一カ所、北区北12条西3丁目にも有島武郎邸跡があって、そちらには1913(大正2)年8月札幌に永住を決意してこの地に自宅を新築し、翌1914(大正3)年11月に妻安子の病気療養のためこの地を去るまで住んでいました。この住宅は、南区の芸術の森に保存されています。


「豊平橋小史」案内表示板前で

ここから約400m、途中、渡った先がガードレールで行き止まりという、かなり笑える横断歩道を横目に見ながら、国道36号線を渡ったところにある緑地まで豊平川を遡ります。
緑地の角には名橋といわれた旧豊平橋のイラストをあしらった「豊平川小史」という真新しい掲示板があって、豊平川の簡単な歴史が記されています。

そしてこの植え込みの中に何やら曰く因縁のありそうな大きな石碑が建っています。

これは、この後訪れる「札幌開祖 吉田茂八碑」の主と共に、札幌の歴史を語る上で絶対に外せない人物「札幌開祖 志村鐡一碑」なのです。以前は菊水側の住居跡にあったのですが、現在はここ豊平側に移設され、以前設置されていた菊水側の先ほどの謎の横断歩道直近には、木の標柱が残されています。

札幌開祖 志村鐡一碑
続いて豊平橋を渡って中央区に入ると、直ぐ左岸にこぢんまりした公園があって、こちらにも少々新しいながらも同じような石碑が設置されています。
そして碑文には「札幌開祖 吉田茂八碑」とあります。

札幌の開祖である、豊平川の渡し守二人の生活はどのようなものだったか、遠い昔に思いを馳せつつ、続いては豊平川の河原に降り、暫く浮世離れしての散策です。ここから生憎の小雨模様となりましたが、苦になる量ではありません。

札幌開祖 吉田茂八碑

この辺りは、以前は自動車学校の練習コースがあった所ですが、すったもんだの末退去し、今では整備されたパークゴルフコースなどに利用されています。

更に時代を遡ると、ここはご存じの方も多いと思いますが、雨の当たらない豊平橋や一条橋直下の一等地からはみ出した掘っ立て小屋が露天に密集していた、通称「サムライ部落」でした。
ここには、今では信じられないような生活があったのですが、この辺りの変遷をつぶさに見てきた身としては、今の整備された河原の姿が全くの別世界に感じられました。


放送記念碑

さて、幌平橋を望む辺りで再び娑婆に戻って中島公園に入ります。
中島公園には神社境内を除いて14箇所の記念碑、モニュメントが設置されていますが、全ての周回は無理ですので、当日はその中からまず我々に縁の深い、放送業界の先輩であるNHK殿に敬意を表して「放送記念碑」を訪れてみました。
ここは昭和3年に、北海道で始めてラジオ放送を開始したNHK札幌放送局があった場所で、昭和34年に現在地に移転するまで供用されていました。この空中線を模した記念碑は、昭和63年に開局60周年を記念して建てられたものです。

余談ですが、イオン札幌元町ショッピングセンターはHBCラジオ送信所跡地に建てられた施設で、敷地内北東角には「民放第一声の地」の碑が建てられています。

続いての歴史探訪は大変新しいものですが、1990年に創設されはや28回、今や夏の札幌の風物詩とまでなったPMFPacific Music Festival)の創設者である名指揮者、「レナード・バーンスタインの立像」です。


バーンスタインの立像と

その前で憩う参加者たち

ここを訪れるたびに、件のレニー氏は鳥の糞にまみれ、糞害のひどさに憤慨していたものですが、今年もPMFの開催を迎えてきれいに化粧直しされています。とはいえ、先日行った下見の際には、既に元の木阿弥になっていました。

さて、今日の締めくくりは、世界に誇る名コンサートホール「キタラ」の前を通り越し、化粧直しが終わってリニューアルされた豊平館を巡って日本庭園に向かいました。

ここは都会の喧噪の中で、全く浮世離れした空間、どことなく心安らぐ場所です。
そしてここのお目当ては、この一角に設えられた重要文化財である「八窓庵」です。


八窓庵

水琴窟を鳴らそうと必死になるも・・・

八窓庵の庭には「つくばい」が設えられていて、筧からの水がしたたり落ちると華麗な音を発する水琴窟が仕込まれているのですが、最近は水は止められたままになっています。そこで警備員さんに伺ったところ、バケツに水を持ってきて下さり、これを流すと聞こえますよ…とのこと。
一旦散りかけたメンバーを呼び戻して「さぁて、お立ち会い!」まではよかったのですが、結果は…残念ながら聞こえませんでした(笑)

と会かいわら31当日の散策は少し緩めでしたが、それでもお腹はすくもの。昼食はキリンビール園での会食です。
食べ飲み放題でしたが、お代わりする席、持て余す席多様な宴会模様の中、普段車椅子生活を余儀なくされている山本さん(STV)も参加されて和気藹々と今回の幕を閉じました。

なお天気は昼食直前に本格的な雨となりましたが、概ね涼しく過ごせ、会員諸氏の日頃の行いの賜であると実感しました。
(写真:山田・越野  文:越野)





523日旱朝、予報にない小雨が降りだしたが、短時間で止んだ。低温・曇天ながら集合場所の札幌駅に向う。
札幌駅北ロ、定時には全員受付を終了した。最初の見学地は開拓初期には郊外に位置し、普は低地で小河川の痕跡が残る「偕楽園緑地」と、その北側に貴賓接待所として建設され明治天皇も巡行された「清華亭」、昭和36年札幌市の有形文化財に指定された。
「清華亭」から北8条通りを渡り北海道大学構内へ、クラーク会館北東、クラーク像が立つ緑地南端から突然流れ出す湧き水は、札幌市が提供している水道水の一部の由、現地を見ないと信じられない。キャンパスを歩き、第2の目的地は昨春、大改装された「北海道大学総合博物館」、ここには、恐竜骨格のレプリカを始め北大工学部と赤平市の製作所が共同で製作・運営している、固体燃料ロケットの実物が開発順に展示されている。小学生・中学生・高校生・学生・興味を抱く一般の方々に来館されることをお勧めします。また、博物館に展示される物は本物であることが望ましいと感じた。

最後は明治11年、信濃の国人がこの地に移住し開墾し、造営した「札幌諏訪神社」でした。この辺りまで来ると参加者の足取りも遅くなり、幹事の越野さんから「巻き」が掛かり、ピッチを上げ札幌駅構内西側まで戻り、昼食会場に予約したガード下のPASEO「丸海屋」に全員集合した。二つのテーブルに別れたがビールで乾杯し、「歩いた・見た・経験した」ことを話しながら楽しく過ごした。
昨年の第63回から始めた「札幌ミニ歴史探訪」シリーズはご多忙な幹事:越野さんの発想で、説明文書も作成して項いている。
 =感謝申し上げます=



尚、集合写真には昼食会から参加の冨原さんと石井さんが撮影時に不在のため、載っていません。

(文と写真:山田)
参加者 HBC:内田、奥山、小野寺、柏倉、桑畑、越野、薗田、竹田、冨原、松田、松原
STV:出田、佐藤、中島、山田夫妻  HTB:長谷川
AirG:湊夫妻  賛助会員:石井  ゲスト:堀井






参加者 HBC:内田・奥山・皆藤・桑畑・越野・薗田・竹田・冨原・松田・松原
STV:出田・井上・岩倉・佐藤・高谷・中島・山田夫妻
HTB:長谷川 UHB:難波・林 AIrG:湊夫妻 ゲスト:石井・小林

新企画 十区ミニ歴史探訪〈歩く会〉は第2回目を東区に決め、発案者の越野さんと慎重な現地下見を経て、103日午前10時にスタートしました。当日の天気予報はあいにくの雨。そんな悪条件にもかかわらず、25名の熱心な参加者が「地下鉄東豊線環状通東駅」に集まり、「旧札幌村」のミニ歴史に触れました。
最初に訪れたのは、旧札幌村の氏神、札幌村神社(祭神:大国主命、大な大己貴神、少彦名神 三柱)、記録では、明治32年(1889年)札幌神社として創立を試みるも、現 北海道神宮が当時使用していた名称であったため許可が下りず、「村」を加えて創立されたとあります。境内は質素ですが歴史を感じました。

次は環状通りを渡り、日蓮宗の妙見山本龍寺、石狩国札幌郡最古の寺院で、境内には、原田與作 元札幌市長筆の「札幌村創建百年記念碑」もあり、毎年812日に行われる「妙見尊大祭」は札幌最古のお祭りとのこと。安政年間(18541859年)明珠院 日現 が開山し、慶応4年(1864年)大友亀太郎によって境内に札幌村の鎮守として妙見堂が建立され、明治147月、寺号を公称しました。
続いて妙見寺の南に進み、札幌の開拓者である「大友亀太郎」や当時、栽培が゙盛んであった「玉葱」を中心に、郷土史を語り継ぐ目的で開設された博物館的施設である「札幌村郷土記念館」に向かいました。札幌村が開設される前の札幌元村開拓時代の古地図、開拓当初盛んであった「玉葱」工作に関する農具などの資料、大友亀太郎の古文書等が展示されており、これらは「札幌村・大友亀太郎関係資料及び史跡」として、昭和26220(1987)札幌市指定の有形文化財に指定されています。
大友亀太郎像前で
なお、当記念館は通常、月曜日が定休日ですが、我々民放クラブ歩く会の見学の為、特別に開館して対応して頂きました。入館中に雨が降り出し、近くの旧大友堀と伏篭(古)川が合流した跡地に、大友堀を模したミニ水路と噴水が配置された「大友公園」の芝生も濡れていました。
再度環状線を北に渡り、長い藤棚で有名な「伏古公園」に入り隣接する札幌で三番目に古い歴史を持つ札幌小学校を眺めながら公園を一周し。再々度環状線を南進し、斜め道路の元村街道を歩きながら大正9年建立の曹洞宗「大覚寺」を目指した。この山門は北海道内最大と評され、合わせて「五百羅漢」を収めた御堂も設置されている。境内のイチョウ・枝垂れ柳・やちだもが札幌市の保存樹に指定されています。
大覚寺五百羅漢前で

雨も小降りになり、昼食会場の「サッポロビール園」到着は予定を20分も超えてしまいました。
今回の昼食会場は、「東環状駅」付近には適当な会場が探せず、少し離れた「サッポロビール園」ポプラ館に決めていました。朝、直前の体調不良で歩けなかった2名が食事会に参加。少々お待たせしましたがようやく合流、総勢25名での昼食となり久しぶりに賑わいました。
アルコールのおかげか急な体調不良・後期高齢者の成人病・趣味の話、現役時代の話などなど、話に花が咲き解散は午後2半時を過ぎ、最後の飲物をオーダーして「健康を!」の掛け声による乾杯で幕を閉じました。


次回は今年度第4回目になる「冬を歩く会」を計画中!。開催日時とコースはこれから幹事会で検討し決定します。
お互いに〈健康寿命〉を永く維持できるよう、お身体を大切にしましょう!

(文と写真:山田)




北海道民放クラブの歩く会も64回を数え、参加人数も徐々に減少しつつあるという現実に直面しています。
そこで趣向を変え、単に歩いて飲むというパターンから脱却して、テーマに基づいたウォーキングを企画してみました。題して「**区ミニ歴史探訪」。…ということで第一弾は白石区に決定。

月25日10時にJR白石駅に集結し、真っ先に訪れたのはすぐ近所にある「やなぎ公園」。
一見何の変哲もない児童公園ですが、公園内の池にはやかんが載ったストーブのモニュメントがあって、やかんの口からは噴水状に水が流れ出ています。他にも小型のストーブのモニュメントが公園内のあちこちに置かれていたり、煉瓦がふんだんに使われていたり、なにやら曰く因縁がありそうです。

そうなのです。ここはかつて、1884年創業の鈴木煉瓦工場があった場所。煉瓦と言えば江別が有名ですが、北海道での煉瓦製造の先駆けはここの白石煉瓦なのです。
この白石煉瓦は北海道庁赤煉瓦庁舎や東京駅にも使われている非常に由緒のあるものです。

その後鈴木社長の娘婿の福岡清春氏が有名な「福禄ストーブ」を開発、その後の北海道での石炭ストーブ普及の礎となりました。これらの来歴を記念し、双方をモニュメントとして創業家の屋敷跡に整備されたのがこのやなぎ公園なのです。


次に訪れたのはここから1kmちょっと離れた住宅地に囲まれた所にある「白石本通墓地」。
尤も最初から住宅地に囲まれていたのではなく、墓地の周辺に住宅地が出来たという当たり前の経過です。
明治時代に、開拓使に無断で作られたという古い部分と、比較的新しいカトリック墓地に分かれています。

実はこの古い方の区画には、大変珍しい、土管で出来たお墓があります。以前はもっとあったそうですが、現存する物は写真の6基のみです。

これは明治時代に愛知県から渡ってきた前述鈴木煉瓦工場の職人、野田荒吉氏が親族のために作った物で、くっきりと刻まれた墓誌を見ているとタイムスリップしてしまいそうです。

この墓地内には、いつ誰が何のために作った物か分からない、殆ど真円のウッドサークルがあって、ことさら好奇心をそそられる場所でした。


続いて訪れた白石神社は、明治5年、北海道神宮の旧社殿を移設した由緒のある神社ですが、実はここの見所は、断崖の下に設けられた竜宮神社から湧き出る泉(メム)です。

平坦に見えて白石から月寒にかけては断層がはっきり見えるところで、ここもそういう部分に豊平川の伏流水が湧き出しているのです。

普段通っていても全く目に付かない所なので、神社の下が崖になっていてこのようなものがあることに、初めて見る参加者は一様に驚いていました。

以前はこんこんと湧き出していて、筆者も週に一回汲みに行っていたものですが、残念ながら現在は僅かにチョロチョロ湧いているだけで、水質的にも飲用には適さなくなっています。

お陰様で好評でしたので、気をよくして次回は「東区のミニ歴史探訪」を行い、出来れば全区、少なくとも東区、南区、西区、北区、白石区、発寒区?、中央区は網羅したいと思っています。
完結までに発寒区が誕生していることを期待しつつ…東南西北白発中…(^^)

(文と写真 越野)

参加者 HBC:石坂・上野・桑畑・越野・後藤・薗田・竹田・長原・松田
STV:出田・佐藤・長原・山田夫妻・山本
HTB:澤田・長谷川  UHB:野島






参加者 HBC:今井・奧山・桑畑・越野・竹田・冨原・松田
STV:出田・岩倉・高谷・山田夫妻
HTB:澤田夫妻・長谷川
UHB:難波・林  ゲスト:石井・小林

爆弾低気圧の発生で、前日から北海道全域が暴風雨に見舞われ、開催が危ぶまれた今年度最後の歩く会は、19名の参加によって雨中の強行開催となった。
道北・道東を中心に大荒れだった前日にかわり、朝から雲の切れ間に青空が見える。
JR稲積公園駅に集合。天気状況の説明のあと、コースを多少短縮して出発した。


稲積公園をぬけ、下手稲通りを横断。緑豊かな中の川左岸の堤防をゆく。

開拓橋をわたり、道々石狩手稲線を横断し、手稲区役所前〜JR手稲駅と歩き、正午には昼食会場の「花ごころ」に無事到着した。

まず、ビールで乾杯 !
懇親会が始まった。

昨年の歩く会は1回の開催だった。
今後は、冬の歩く会や、歩かない会の開催が話題になり、前向きに検討することになった。
また、コース候補地を具体的に提出していただき、幹事側が合わせて検討する方向で意見
がまとまった。お互いの健康維持を誓いながら散会した。

(山田 記)




高平(HBC)さんが一身上の都合で会長を勇退されたあと、暫く開催が遅れていた「歩く会」でしたが、今年初の例会を、去る829()に開催致しました。
地下鉄南平岸駅を起点に、平岸、西岡、月寒のアップダウンコースを辿り、会食場のアサヒビール園へ…。
強烈な残暑(というより盛暑)でしたが、爽やかな風に助けられ、心配した熱中症なども杞憂に終わって、恒例の如く楽しい昼食会となりました。(記念写真は、美人ガイドの菅原さん撮影)
暫くぶりの開催を迎え、幹事の動きが遅くてご迷惑をお掛けしましたが、今までの高平さんのご尽力がどれほど素晴らしいものあったかを痛感させられる運営でした。改めて、これまでの労に心からお礼申し上げる次第です。
                    


                 (世話人一同)