北海道民放クラブ歩く会・第67回は、「札幌市のミニ歴史探訪・第4弾…白石区から中央区〜札幌の開祖・ふたりの豊平川の渡し守を偲んで編」と銘打って7月31日に実施しました。
集合場所である地下鉄菊水駅は、札幌の歴史の上では大変重要な位置づけとなる「白石遊郭」の真っ只中だった場所にあります。
遊郭が栄華を誇った時代には、現在の菊水2条2丁目の藤井ビル前と同5条2丁目の菊水公園前に大きな門があって、遊郭内と娑婆との境界になっていました。このことから、この通りは今でも「大門通」という名前で呼ばれています。
遊郭が現実だった時代は勿論知る由もありませんが、ここから2丁ほど離れた所で生まれ育った筆者が子供の頃には、既に遊郭は廃れ果て、廃墟となった建物の中庭を取り巻く回廊が我々の遊び場になっていたもので、その雰囲気の片鱗だけは子供なりになんとなく感じていました。
尤も例の法律の施行後も近隣の非合法地帯は相変わらず存在していて、小生が社会に出てからも、豊平側にはその筋の店が何軒かあったという記憶があります。
子供の当時は、日が暮れるまで走り回って遊んでは、二階の廊下を踏み抜いて階下まで落ちたりしたものですが、さすが昔の子供はそんなことくらいでは怪我などした覚えはありません。懐かしいやんちゃ坊主時代の思い出です。
一条橋たもとから豊平川の堤防に出て、豊平川右岸通と、河原越しに中央区のビル群を左右に見ながら南下すると、河岸公園にひっそりと見落としてしまいそうなモニュメントを見つけることが出来ます。よく見ると、表示には「有島武郎邸跡地」とあります。
ここは有島武郎が結婚後の1910(明治43)年10月から約1年間住んだ住居の跡地(実際には道路の向かい側)で、住宅そのものは、厚別の開拓の村に移転保存されています。
なお札幌にはもう一カ所、北区北12条西3丁目にも有島武郎邸跡があって、そちらには1913(大正2)年8月札幌に永住を決意してこの地に自宅を新築し、翌1914(大正3)年11月に妻安子の病気療養のためこの地を去るまで住んでいました。この住宅は、南区の芸術の森に保存されています。

「豊平橋小史」案内表示板前で
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ここから約400m、途中、渡った先がガードレールで行き止まりという、かなり笑える横断歩道を横目に見ながら、国道36号線を渡ったところにある緑地まで豊平川を遡ります。
緑地の角には名橋といわれた旧豊平橋のイラストをあしらった「豊平川小史」という真新しい掲示板があって、豊平川の簡単な歴史が記されています。
そしてこの植え込みの中に何やら曰く因縁のありそうな大きな石碑が建っています。
これは、この後訪れる「札幌開祖 吉田茂八碑」の主と共に、札幌の歴史を語る上で絶対に外せない人物「札幌開祖 志村鐡一碑」なのです。以前は菊水側の住居跡にあったのですが、現在はここ豊平側に移設され、以前設置されていた菊水側の先ほどの謎の横断歩道直近には、木の標柱が残されています。 |

札幌開祖 志村鐡一碑
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続いて豊平橋を渡って中央区に入ると、直ぐ左岸にこぢんまりした公園があって、こちらにも少々新しいながらも同じような石碑が設置されています。
そして碑文には「札幌開祖 吉田茂八碑」とあります。
札幌の開祖である、豊平川の渡し守二人の生活はどのようなものだったか、遠い昔に思いを馳せつつ、続いては豊平川の河原に降り、暫く浮世離れしての散策です。ここから生憎の小雨模様となりましたが、苦になる量ではありません。 |

札幌開祖 吉田茂八碑 |
この辺りは、以前は自動車学校の練習コースがあった所ですが、すったもんだの末退去し、今では整備されたパークゴルフコースなどに利用されています。
更に時代を遡ると、ここはご存じの方も多いと思いますが、雨の当たらない豊平橋や一条橋直下の一等地からはみ出した掘っ立て小屋が露天に密集していた、通称「サムライ部落」でした。
ここには、今では信じられないような生活があったのですが、この辺りの変遷をつぶさに見てきた身としては、今の整備された河原の姿が全くの別世界に感じられました。

放送記念碑 |
さて、幌平橋を望む辺りで再び娑婆に戻って中島公園に入ります。
中島公園には神社境内を除いて14箇所の記念碑、モニュメントが設置されていますが、全ての周回は無理ですので、当日はその中からまず我々に縁の深い、放送業界の先輩であるNHK殿に敬意を表して「放送記念碑」を訪れてみました。
ここは昭和3年に、北海道で始めてラジオ放送を開始したNHK札幌放送局があった場所で、昭和34年に現在地に移転するまで供用されていました。この空中線を模した記念碑は、昭和63年に開局60周年を記念して建てられたものです。
余談ですが、イオン札幌元町ショッピングセンターはHBCラジオ送信所跡地に建てられた施設で、敷地内北東角には「民放第一声の地」の碑が建てられています。 |
続いての歴史探訪は大変新しいものですが、1990年に創設されはや28回、今や夏の札幌の風物詩とまでなったPMF(Pacific Music Festival)の創設者である名指揮者、「レナード・バーンスタインの立像」です。

バーンスタインの立像と |
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その前で憩う参加者たち |
ここを訪れるたびに、件のレニー氏は鳥の糞にまみれ、糞害のひどさに憤慨していたものですが、今年もPMFの開催を迎えてきれいに化粧直しされています。とはいえ、先日行った下見の際には、既に元の木阿弥になっていました。
さて、今日の締めくくりは、世界に誇る名コンサートホール「キタラ」の前を通り越し、化粧直しが終わってリニューアルされた豊平館を巡って日本庭園に向かいました。
ここは都会の喧噪の中で、全く浮世離れした空間、どことなく心安らぐ場所です。
そしてここのお目当ては、この一角に設えられた重要文化財である「八窓庵」です。

八窓庵 |

水琴窟を鳴らそうと必死になるも・・・ |
八窓庵の庭には「つくばい」が設えられていて、筧からの水がしたたり落ちると華麗な音を発する水琴窟が仕込まれているのですが、最近は水は止められたままになっています。そこで警備員さんに伺ったところ、バケツに水を持ってきて下さり、これを流すと聞こえますよ…とのこと。
一旦散りかけたメンバーを呼び戻して「さぁて、お立ち会い!」まではよかったのですが、結果は…残念ながら聞こえませんでした(笑)
と会かいわら31当日の散策は少し緩めでしたが、それでもお腹はすくもの。昼食はキリンビール園での会食です。
食べ飲み放題でしたが、お代わりする席、持て余す席多様な宴会模様の中、普段車椅子生活を余儀なくされている山本さん(STV)も参加されて和気藹々と今回の幕を閉じました。
なお天気は昼食直前に本格的な雨となりましたが、概ね涼しく過ごせ、会員諸氏の日頃の行いの賜であると実感しました。
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