北海道民放クラブが、目的として第一に掲げるのは社会貢献活動です。
社会活動部会が中心となり、講演会・朗読会・紙芝居公演・撮影ボランティアなど、放送事業で培ったノウハウを生かし社会に役立つ活動を行っています。
 部会長:西野(HBC) 世話人:川嶋(HBC

当クラブ伝統の講演会では、放送局の中で働くディレクターやプロデューサーなど、テレビやラジオに現れない作り手の話を聞く機会を催してきました。
また、一般市民の方にも開かれた講演会として、報道部門の元海外駐在員が語る「時局講演会」が好評です。そして、元アナウンサーによる朗読会も不定期で開催しています。イベント運営スタッフを募集しています。






「民放の力量と歴史を感じさせる好企画」

♦ ドキュメンタリーは時代を次の世代に伝える財産であると、
いま改めて思いました。近年、ドキュメンタリー番組が少ないのが
残念です。時代を映し、投げかけて欲しいと感じました。

♦ 民放の力量、歴史を感じさせます。いい企画でした。
まだ埋もれている作品もあると思いますので、来年以降も企画してほしい
と思いました。

  ~寄せられた声は好評でした~   
アンケートが語るドキュメンタリー番組上映会
道内民放各社が放送した秀作ドキュメンタリーをもう一度公開し、北海道が抱える時代を超えた課題を見つめなおそうとするドキュメンタリー番組上映会。
北海道民放クラブが初めての試みとして企画し、2019年9月から12月までの毎月1回、合わせて12作品を上映しました。

入場者は、4回で合計331名。

会場のウィステリアホールについても「このような素晴らしいホールがあることを初めて知りました。清潔で座席空間がとても落ち着く」と好印象でした。

4回の上映会を、ゲスト解説者の話と会場で行われたお客さんへのアンケート結果を中心にまとめました。

★ 9月24日(火)
   ①「陳情」1996年 HBC
   ②「あの海にこだまして~泰東丸捜索の記録~」1975年 STV
   ③「『第九』を歌った町~北海道・清水町」1980年 HBC
   入場者:70名
解 説:
「あの海にこだまして~泰東丸捜索の記録~」

中尾則幸ディレクター(当時)
留萌沖で、旧ソ連の潜水艦に撃沈された引揚げ船3隻のうち泰東丸だけが、いまだに670人の犠牲者の名前すら分からない。日本政府はすべてを封印している。私はライフワークとして今後も取り組んでいく。
 
「『第九』を歌った町~北海道・清水町」

溝口博史ディレクター(当時)
このドキュメンタリーの制作を依頼され、取材に向かう列車内で『第九』を何度も聞いた。
構成はこの音楽を主役にしようと決めた。

アンケート:
泰東丸のその後を知りたいと思いました。犠牲者家族の気持ちを思うとこのまま埋もれさせてはいけないと思います。
清水町の『第九』感動しました。


★ 10月22日(火・祝)
   ①「地底の葬列」1982年 HBC
   ②「石炭奇想曲 夕張、東京、そしてベトナム」2007年 UHB
   ③「みんな輝いていたよ~熱中先生ふれあいの記録~」1985年 STV
   入場者数:106名

解 説:
「地底の葬列」




後藤篤史ディレクター(当時)
夕張の歴史は北海道の歴史という認識をHBC報道部は共有していた。
炭鉱事故は北炭の保安軽視による人災と言う視点で戦時中の歴史にさかのぼり、閉山までを描いた。

「石炭奇想曲 夕張、東京、そしてベトナム」

吉岡史幸プロデューサー(当時)
「地底の葬列」と一緒に上映され解説することが多い。炭鉱がなくなったあとの炭鉱マンがベトナムの炭鉱開発に関わっている。輸入炭によって日本の電力が賄われているという現実と、夕張市の破綻により夕張最後の炭鉱があった南部地区の住民を対比させる構成にした。

♦ アンケート:
「地底の葬列」はあの時代の夕張を描いた素晴らしい作品でした。ドキュメンタリーのもっている真実にただ涙でした。
「石炭奇想曲・・・」は、今日らしい矛盾が描かれていて今日的でした。
「みんな輝いていたよ・・・」もドキュメンタリーらしい番組。来年はHTB「赤い靴はいてた女の子」の追跡ドキュメントの上映を希望します。



1119日(火)
   
①「乃木坂46 橋本奈々未の恋する文学〜桜木紫乃『ラブレス』」2016年 UHB
   ②「嘘塗りの骨~アイヌ人骨返還問題の悲痛」2018HTB
   
③「カムイ鳥の軌跡~オオジシギ2つの物語」2017 HTB
   
入場者:72

解 説:「乃木坂46 橋本奈々未の恋する文学〜桜木紫乃『ラブレス』」
 
後藤一也(プロデューサー)
橋本を使って文学の旅を番組にという依頼がプロダクションからあった。本好きで、学校に行くためにアイドルをやっているタレント。
本作など11回、北海道ゆかりの作家を取り上げ、望遠レンズを使って撮った。DVDの売り上げもオリコン1位。ドキュメンタリーとドラマの融合を試みた。


「嘘塗りの骨~アイヌ人骨返還問題の悲痛」


沼田博光(報道部デスク)
民族共生象徴空間オープンで注目される先住民アイヌ民族。
しかし、1600体の遺骨が研究目的の名で全国の大学で眠っている。返還請求の過程で大学側のずさんな管理なども明らかになってきた。
これからも追い続ける。


♦ アンケート:

「乃木坂・・・」若い感覚での切り口がすがすがしかった。
「嘘塗リの・・・」現在に通じるアイヌ問題の一端を知ることが出来、人骨とは、を意識させられた。本当に今の政府の判断でよいのだろうかという疑問を感じる。
「カムイ鳥の・・・」動物の潜在的な力というものを感じた。自然は大事を教えてくれた。


1217日(火)
   ①「けいざいナビスペシャル 検証・拓銀破たん20年~今伝えたいこと~」
     2017 TVH

   
②「ニセコルール~守り人の闘い」2016TVH
   
③「風の音は聞こえない・・・少年竜二 空を飛べ」1988STV
   
入場者83

解 説
「けいざいナビスペシャル 検証・拓銀破たん20年~今伝えたいこと~」

廣岡雅晴(報道部長)
拓銀破たんから20年。破たん時の行員として、なぜという想いが捨てきれなかった。現TVH社長は当時の大蔵省担当記者、テレビ東京報道局長は日銀担当記者だった。
最後の頭取河谷氏の証言を交えて、公的資金投入を断念したいきさつを探った。再検証はないと思うが、新しい事実が出てくれば別だ。


「風の音は聞こえない・・・少年竜二 空を飛べ」


林健嗣プロデューサー(当時)

聴覚障害を持つ少年ジャンパー。話を聞き15年間ずっと追ってきた。故廣田カメラマンは大会があるごとに取材していた。自由に取材できたから生まれた作品。
悩みや反抗期なども取材し、長野五輪テストジャンパーへの道につながった。

♦ アンケート
「けいざいナビ・・・」素人でも株や不動産が右肩上がりが続くとは考えていなかったが、限りない投資拡大が破たんを招いたのではないか。
「ニセコルール・・・」コース以外の自然の山を滑りたいとの強い思い。雪崩の危険を避ける思い。
「風の音は・・・」長期の取り組みに驚きました。人間を深くとらえている。

(文:佐々木 撮影:越野 構成:内田)




「ことばと人間関係〜ことばの力をいかしたコミュニケーション術とは〜」と題して開催された松原智津子さんの講演は、話し言葉の持つ力と魅力を奥深い言葉で伝えてくださった。

日曜日にも関わらず、全道各地から定員の約70人が集まり会場は熱気に包まれた。函館からはHBCの先輩アナウンサーがはせ参じ、また、後輩の面倒見のよい松原さんらしくHBCOBOGHTBの教え子アナウンサーなどが大勢訪れ、熱心に話を聞いた。

松原さんが、まず口火を切った。
「人間が他の動物と最も異なる点のひとつは言葉という意思伝達の手段を持ったことだと言われています。

社会生活を営む上でお互いに理解しあうために発達した言葉というものが、人間関係に大きな影響力を持つと同時に、個々の人間性を表すものとして重要な意味を持っています」。

「私たちは言葉によるコミュニケーション能力を高めることで、よりスムーズな人間関係を保つことが可能になると思っているのですが、そのための努力をしているとは必ずしも言えないのが現状です。

コミュニケーションの大切な手段として私たちが持っている言葉、中でも話し言葉は書きことばよりも一般に多く使われています。

それは思いたったらすぐ表せる、短い時間で多くの内容を、そして、用具もなしに表現できる。話しているうちに次の発想が生まれてくるという利点を持っています。
私たちは、その便利さに慣れてしまい不用意に使っているのではないでしょうか。そのために人を傷つけたり、事柄が正しく伝わらなかったり、間違いを引き起こしたりしています。

話し言葉に限っていえば、内容が日常的な条件であるために、無意識に使われがちで、改善の意識がもしかしたら低いのかもしれません。

人間同士のつながりに大きな役割をもつ言葉や話すことについて改めて考え、他人とのコミュニケーションをスムーズにする基本や応用を実践的に学ぶことです。ただ通じれば良いというのではなく、正しくわかりやすく、しかも、美しく伝えるためにはどのようにすれば良いのか、さらに表現力豊かな話し方を身に着けるための考え方や方法についてお話して参ります」。

1. ことばについて
2. 話し方の基本
3. 対話法
4. コミュニケーションについて 

この4つについてお話いただいた。

特に「外言語と内言語」の概念は、元東京大学教授である藤崎博也氏の定義を引用した興味深いものだった。
「内言語は個々の体験を抽象化して、さまざまな現象を意識の上で組合せ、時には実在しないことまでも意識したり、思考することが可能で、これらの思いは必ずしも発話されるとは限らない。しかし、人間は言葉で考えている。つまり言葉は人間にとって極めて重要な思考の媒体であり、これを『内言語』と言う」という難しい定義。
「東大生の気分で聞いていただけましたか?」というユーモアたっぷりの解説で、楽しく聞くことができた。

ちなみに「内言語」を他人に情報伝達するための言葉が「外言語」で、内言語を外言語化する作業が必要になる。

会場からの質問に明るく答え「私はもう85歳ですもの、声はしわっぽくなりました」と答えた松原さん。まだまだ、社会で活躍して行くだろうと予感した。

編集者注:講師は元アナウンサー。北海道放送(HBC)を退職後、HTBなどの新人アナウンサー養成に携わる。元静修短大助教授。北海道民放クラブ会員。
(文:中田 撮影:長谷川 構成:内田)




かでる2・7で開かれた12月の講演会は、2回つづいた海外特派員報告から趣向を変えて、いま旬の方にお話をしていただきました。
来年、白老町に開館するウポポイが話題になっている折り「アイヌ文化と北海道」について、講師は札幌大学の本田優子教授です。
“三つのかんちがい”とはどういうことでしょう。

会場には、話題のテーマとあって92名の方にお集まりいただきました。会員以外の方が全体の8割を占め、この講演会シリーズの最多でした。

冒頭の自己紹介で、本田さんは北大で学んだ後の1983年から二風谷に住み、アイヌ文化研究の第一人者萱野茂さんに弟子入りして助手を務めたとのこと。

そこで、開設されたアイヌ教室の講師や、萱野さんのアイヌ語辞典の編纂助手も務めたことなどを話しました。

また、二風谷に住む多くのアイヌのおじいさんやおばあさんからアイヌの人々の生活・考え方・歌や踊りを学びます。こうして奥深いアイヌの文化に魅入られて行きました。

「まず1年住んでみよう」と始めた二風谷の生活は11年を数えました。

日常生活の中で現代のアイヌ民族の姿を学んだことで、社会に流布している間違ったアイヌのイメージを何とか正していきたい、それが自分に与えられた役割だと思うようになりました。今回のテーマ“三つのかんちがい”です。
 

①アイヌの人たちって、いつから北海道に住んでいるの?
ある博物館には「13世紀からアイヌ文化」とあった。確かに12~13世紀ころから「アイヌ文化期」ではあったが、実は「アイヌの人々は縄文人の子孫だった」。つまり北海道は、1万年以上にわたり同じ人間集団が住み続けている世界でも稀有な島なのだ。

②アイヌ民族は、平和な北の島で自然と共に神々と心豊かに生きてきた人たち?
実は勘違いだ
1264年には元(モンゴル帝国の元朝)がサハリンに侵攻しアイヌと交戦、
1297年にはアイヌが大陸に渡り元と交戦した、と中国の文書に残っている。この様に活発に活動していた集団だった。
アイヌは、とても暖かいラッコの毛皮をはじめ衣類や装飾品、漆器などを交易して生活していた。
 
③アイヌ民族って、もうほとんどいないんでしょう!?
2017年、道の生活実態調査では13,118人とされているが、これはあり得ない数字で、実際にはもっと多い。
アイヌをマイノリティーと感じ、自分をアイヌだと認めたくない、あるいは公表したくない人が増えている。かつての旧土人保護法から始まる明治政府の同化政策の影響が、未だに拭い去られていないのが現状だ。


本田さんが教授を務める札幌大学地域共創学群で、学生たちに「アイヌ語で会話している人の数は?」と質問すると、多くは500人か1,000人と答えた。

しかし、正しい答えは「ゼロ」。「ごく少数の人が、今なお伝統文化を守って生きている」というイメージは、まったく勘違いなのです。

アイヌ語はユネスコの消滅危機言語リスト(2009年)では、最も深刻度が高い「極めて深刻」とされている。日本の同化政策によって日常生活としてのアイヌ語は絶滅してしまいました。

若者の大学進学率は、年々上昇している一方で、北海道は沖縄県についで進学率が低い。中でも特に進学率の低いアイヌの若者たちにその道を開きたい。
アイヌの子供たちに、アイヌ民族の素晴らしい文化と歴史を伝えたい。いまの日本では、アイヌには言語も歴史も物語も何一つ保証されていない。アイヌの子供たちは、その歴史・物語など民族の根っこを何も教わっていない。と本田さんは語ります。

本田さんは、アイヌ文化の担い手を育成する「ウレシパ・プロジェクト」を大学に呼びかけ、アイヌの学生に対する奨学生制度を創設。アイヌの学生もアイヌでない学生も一緒にアイヌ文化を学ぶ「ウレシパクラブ」を結成しました。

ウレシパとはアイヌ語で「育てあう」という意味。多くの人と関わりながらアイヌ文化を学び、理解を深めることでこれからの北海道に必要な人材を育てようと考えたのです。
奨学生第一期生の一人であるアイヌ民族出身の女性は、札幌大学を首席で卒業し、ウポポイ(民族共生象徴空間)に開設される国立アイヌ民族博物館の学芸員に決まったということです(ここで場内からわき起こる拍手!)。

いま本田さんは、アイヌ語復興のために新たな方向を模索しています。それは、ハワイ語の復興運動やマオリ族の活動との連携です。

ハワイでは、絶滅危機言語とされているハワイ語を復興するために、すべての学科をハワイ語で学ぶ(イマージョン教育)幼稚園〜高校が作られており、ハワイ大学のハワイ言語学部博士課程の授業も、すべてハワイ語だけで行われています。民族言語の復興を支援するハワイ大学から学ぼうと、札幌大学は交換留学生の協定を締結しました。

一方、マオリ語の復興を目指すニュージーランドでは、先住民族マオリをリスペクト。「マオリは生まれ育った社会を豊かにする」と、国を挙げて自らの文化を見直す機運が高まっています。

ウレシパクラブでは、2017年にハワイ、18年にはニュージーランドへの研修旅行をし、先住民族教育の現状を視察しました。

民族の言葉を復興することが、なぜそんなに大切なのでしょうか。

それは、言葉の背後には民族の世界観が広がっているからです。アイヌ語の「考える」という言葉は「自分に対して心を揺らす」とい意味を持ちます。
日本語では「かむかう」が語源の一つとされます。「か(彼)」は「向こう」という意味です。つまり「向こうに向かう」という意味で、アイヌ語とはベクトルが逆です。
言葉には、ものの考え方がついてくる、だから民族の言葉は大切なのだ、といいます。

北海道旧土人保護法から120年目の2019年5月、アイヌ施策推進法が制定されました。
アイヌ語の復興に向けて、ニュージーランドでマオリの人たちから「自分たちの言葉の復興を絶対にあきらめないでください。あなたたちがやらないで、誰がやるのですか」と声をかけられました。
本田さんは、アイヌ語を取り戻すなんて不可能と思っていたけれども、頑張ればできるかもしれない・・・と思い始めているそうです。

札幌市内では、アイヌの模様や木彫などが徐々に目につくようになってきたし、間もなく開館する白老町のウポポイを始め、阿寒ユーカラ、カムイルミナなどアイヌ文化を地元にしっかり根づかせようという動きが進んでいます。

本田さんは、北海道民・日本国民の多くがアイヌ文化の価値を理解し、リスペクトするようになり、そして、アイヌ民族の多くが自らの文化の価値を理解し、自覚をもってダイナミックに動き出せば、日本社会の姿が変わります、と話します。


一息入れる間もなく90分。本田さんはアイヌに対する思いを分かりやすく、熱く語りました。質疑応答にも快く応対され、会場から大きな拍手が送られました。

講演の後、とてもよかった、感動したという声が多く寄せられました。
深く、広く、豊かな講演でした。
アイヌに対する思いを分かりやすく、本田先生ありがとうございました。

(文:奥津 撮影:越野 構成:内田)




かでる2・7で開かれた8月の講演会。今回はNNNロシア支局長を2016年春から3年2ヵ月務めたSTV報道部の横内郁麿さんにお話しいただきました。

一般の方も自由に参加するようになって9回目ですが、朝から雨模様の中、多くのみなさんにお集まりいただきました。


まず「きょうは皆さんの知らないロシアをご紹介しましょう」と、横内さんはロシア人の友人を紹介し、なんとロシアの民族楽器バラライカの演奏が始まりました。日本でもお馴染みの「カチューシャ」「カリンカ」など3曲を演奏し、素敵な音色に会議室の空気が和みました。スパシーボ!

ロシアの概要をおさらい:

人口は1億4,680万人(日本は約1億2,000万人)ですが、面積は日本の45倍。GDPは韓国の下で世界13位。そして、想像以上に音楽・芸術・文化などが豊かで、奥が深く面白い国。

講演は3部構成で、1部は「面白いロシア」。2部は「プーチン大統領」。3部は「北方領土問題」です。

第1部は、題して「おもロシア」。

ロシアはとても親日的で面白い国でした。日本食の「焼鳥屋」というチェーン店があって、太巻きは人気(ただしロシアのは中にチーズが入っている)とか。

世界的に有名な「マリインスキー劇場」のバレエ団では永久メイさんという18歳の日本人が主役の一人に抜擢されているとか、日本のニュースが意外に多くテレビで放送されるとか・・・。

一昨年の九州水害では、ロシアの特派員が東京から現地に入ってレポートしているところを見せてくれました(ロシアの人は日本に関心があるのかもしれない)。

それから、3月8日の「国際女性デー」は、ロシアでも「女性は大事にしましょう」と当時のブレジネフ政権が1966年から国民の休日と決めたそうで、国中で女性に花を贈るそうです。10万円の花束もあったとか。

横内さんもモスクワ支局の女性に贈ったそうです。フ~ン!

第2部はプーチン大統領66歳。横内さんは、単独インタビューをしたことがあるそうです!

2000年3月からロシアの実質トップを続けている。ただ、11の時間帯がある広い国だけに、隅々まで国の方針を広めるのに苦心している。

例えば、「ホットライン」というテレビ番組。全国放送で、大統領が直接国民と対話をする姿を見せたり、

世界中のメディアを対象に4時間ぶっ続けの記者会見をしたり、クリミアと本土をつなぐ19キロの巨大な橋の開通式には、自ら先頭の大型トラックを運転して見せたが、シートベルトをしていなかったと後で物議をかもしたり・・・と、現地に行っていないとわからないことが、横内さんの軽妙なお話から次々に飛び出してきます。それぞれにビデオもあり、あっという間の1時間超となりました。

そして、いよいよ第3部は北方領土問題です。

201811月の日ソ共同宣言で、北方領土問題は一歩前進したかに思えた。しかし「ソ連は歯舞群島及び色丹島を日本に引き渡すことに同意する。ただし、平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」。プーチンさんは「返す」ではなく「引き渡す」と表現した。ロシア国内でも「クリル諸島を日本に引き渡すのか」と反政権団体がデモ行進をしたそうだ。しかし、プーチンさんは「返す」とは言っていないと発言。ラブロフ外相は反対デモの鎮静化に努めた。

2000年から始まったプーチン政権、北方領土問題については相当情報を集め慎重に検討している。共同宣言の後プーチン大統領は、「もし北方領土を引き渡すことがあれば、米軍基地を作ることはどうなのだ」という牽制球を投げてきた。ロシアは、沖縄における日米地位協定の内容を十分に把握しており、沖縄に巨大な米軍基地が数十年も存在していることを知っている。日本はこの問題についてどの程度主権を持っているかがわからないと考えている。

地位協定によれば、日本国内にアメリカが基地を望めば日本政府は断れない。つまり日本政府はいま、北方領土問題の進展に向けて「日本における安全保障」をどれだけ真剣に考えているかが問われている。


最後に横内さんは、ロシアを理解する上で大事なことは、「主権」と「勢力圏」という言葉ですと話しました。

主権とは、自分たちだけで、自分の国の事を決められる権利(例えば、中国、インドのように)。ロシアはたぶん、領土を広げようとは思っていない。ロシアが目指すのは、アメリカやEUに対抗して、自分の国が影響を及ぼす「主権をもつ国家の勢力圏」を、広げたいと考えている。

ビスマルクはかつてこう言った。

「ロシアは見かけほど強くないが、見かけほど弱くもない」。

お話を聞いていて、この問題を他人事のように思わず、結論を先延ばしするのではなく、一人ひとりが真面目に考えてみることが大事だと、私は実感しました。

難しい北方領土問題をはじめ、超大国ロシアの最前線を取材した横内さんの快活な体験談。会場の参加者は、映像とともに興味深げに聞き入っていました。

                   (文:奥津 撮影:越野 構成:内田)





社会活動部会の講演会では、道内メディアの特派員が帰任した際に前任地の事情を話していただいており、今回は2016年3月から3年間ロンドンに派遣されたHTB・北海道テレビ報道部の金子 陽デスクに、取材活動にまつわる話などをしていただきました。

会場のエルプラザ研修室には41名の方が集まり、新聞を通じて知った一般の方々も多く参加してくれました。

ANN欧州エリア支局のなかで複数の記者がいるのは、金子さんが勤務したロンドンだけだったため、通称「世界遊軍」。
大事件・大事故が起これば、ヨーロッパをはじめ世界各地に飛んで行きました。

取材に向かったのは、エジプト、チリ、グリーンランド、シンガポールなどおよそ25か国に及び、現場からのレポートは100回を超えたそうです。

海外でビッグニュースが起きた際、現場から記者のレポートが行われるのは珍しくなくなりました。しかし、衛星中継というと昭和生まれの筆者には、中継車に衛星回線など大掛かりな規模と、莫大な経費を想像してしまいますが、インターネットとパソコンの進化で、なんと重さが1キロ程の装置を肩にかけ、カメラとマイクだけで、例えばロンドンからレポートができる様になったそうです。中継の経費は中継車の時代の10分の1、しかも最新の装置は商用電源も不要。複雑な手続きなしで海外各地から現場レポートができます。
そのため、キー局からの中継要請が格段に増えて、時差のある日本へのレポートを寝不足になるくらい数多く経験。
とてもやりがいのある3年間だったそうです。

なかでも、イギリスのEU離脱問題。
金子さんがロンドンに赴任して3か月後に行われた残留か離脱かの国民投票は48.11%対51.89%という僅差で、事前の予想に反して離脱が過半数を占めました。

金子さんは結果を伝える翌日の新聞をプロジェクターで投影しながら当時の驚きを語ってくれました。BBCの出口調査では残留派多数を報じられていただけに、キャメロン首相が即辞任。その後の混乱は今も尾を引いています。

首都ロンドンの空気とは違って、地方は疲弊し国民の不満が多く「古き良き時代に回帰したい」という国民が離脱を支持しているので、地方を抜きにこの問題は語れないとのことでした。ここにも社会の分断があるようでした。

金子さんの講演では、さすがテレビ局の報道デスクだけに、かつてのレポートのパラレコ(同時録画)を再生したり、パソコンやDVD、OHPを使っていろいろな資料・地図・折々の新聞・イギリスの運転免許証など、様々なデータをわかりやすくたっぷり紹介してくれました。


休憩をはさんで後半に話してくれたのは、2018年6月シンガポールで行われた米朝首脳会談。

ここへも、ロンドンから取材に行きました。
シンガポールにとって、世界が注目する会談は観光立国をPRする絶好のチャンスとばかり、国を挙げてなんと16億円もかけて会場などを準備したそうで世界中から集まったメディアに対して、観光地の無料パスなどお土産があったとか。「プレスキット」と呼ばれるその実物も見せてくれました。

シンガポールは観光地として日本人にも身近ですが、実は「明るい北朝鮮」という側面もあり北朝鮮の友好国。米朝会談がセットされた所以でもあります。

会談の会場周辺は、厳重な規制がしかれ、メディアが取材で行くにも、すべての荷物を並べて警察犬が匂いを嗅ぐという物々しいものでした。

ところが会談の前日、厳重な警戒の中キム委員長が市内を突然訪れ、なんと、金子さんのわずか3メートル先で笑顔を浮かべているところに遭遇しました。その場面の映像も見せてくれました。屈強な護衛に囲まれた委員長が笑顔を浮かべていました。

1年前、キム委員長はトランプ大統領から体制保証を得て、経済制裁の解除を受ける代わりに非核化を進めるという構想に自信を持っているかのような余裕の表情でした。しかし、1年後ベトナムでの2回目の会談が決裂。また難しい局面となっています。

難しい政治局面が続くヨーロッパ各地や北朝鮮。世界の最前線を取材した動画や写真を交えた、金子さんの体験談に参加者は興味深げに聞き入っていました。

中継機材の一例
出典 web site http://starcom.co.jp/tvu/

(文:奥津 撮影:越野 構成:内田)





今回の会場は、札幌市中央区の北海道神宮にある講堂「敬神道場」。
講師は、神宮の吉田源彦宮司です。
札幌開拓の父と言われている島 義勇判官にまつわる話をしていただきました。

会場には、新聞告知を見た多くの一般市民を含め70余名の方々が集まりました。

松浦武四郎が提案したとされる、「北海道」命名150年の節目は去年のことでした。その明治2年7月13日、肥前藩前藩主・鍋島直正は北海道開拓使初代長官に任命されました。そして鍋島の部下だった島 義勇も7月22日開拓使判官に就任しました。

吉田宮司のお話には、鍋島直正・島 義勇・松浦武四郎・間宮林蔵といった歴史上の人物の名前が次々に出てきます。何しろ北海道神宮の本殿近くに島義勇の大きな銅像が建っているくらいですから、お話をされる宮司も、聞き入る参加者も力が入ります。
島 義勇が札幌に滞在したのは、わずか3ヵ月でした。
ほぼ無人の原野に「五州第一の都」を作るという壮大な構想を描き、京都や故郷の佐賀を念頭に碁盤の目のような整然とした街並みを目指し工事が進められました。
 


北海道神宮 web サイトより
島 義勇は「札幌開拓の父」として、北海道神宮の境内社「開拓神社」に祀られており、北海道神宮と市役所のロビーにも銅像が建てられています。また、北海道神宮では1974年から毎年、命日の4月13日に顕彰の集いが開かれています。命日の4月13日には慰霊祭が執り行われてきました。

ところが、島 義勇は故郷では「佐賀七賢人」とは呼ばれていたものの、島に関わる集まりはなく銅像もありませんでした。
ある時、佐賀県の関係者が、札幌で40数年前から顕彰の集いが行われていることを知り、慌てて知事や市長が札幌にやってきたほどで、故郷佐賀では「知名度は札幌の方が上」と噂されていたとか・・・。

しかし、佐賀県内でも島を顕彰する機運が盛り上がり、2018年11月、ようやく佐賀市内に島 義勇の初めての銅像が建てられ、吉田宮司は知事や札幌市長と共に除幕式に参加されたそうです。
吉田宮司は「幕末から明治にかけて本州の様々な方々の労苦と力があって、今の北海道がある。だからこそ北海道の開拓に尽くされた先人たちへ感謝するという気持ちを胸に、日々お祀りしていきたい」と語っていました。

講演会は休憩を挟み、合わせて1時間40分ほど行われました。
100ページを超える冊子「島 義勇物語」をはじめ、様々な資料10点が用意され、講演を聞いたあとも二度楽しめる、参加者たちにとって興味津々の集まりとなりました。
(文:奥津 撮影:越野 構成:内田) 



民放界の大先輩・堀内 洲さん(86)を札幌・中央区のかでる2・7に迎えて開かれた今回の講演会は、世界で初めて1,000メートルを超える山頂にテレビ送信所を建てるまでのお話です。堀内さんは、昭和31(1956)年テレビ創成期の北海道放送(HBC)技術部で活躍されました。
会場には、新聞告知を見た遠方からの一般参加者も加わり、34名の方々が集まりました。
北海道の民間放送によるテレビ放送は、昭和32年4月1日札幌で始まりました。「日本一高いアンテナから日本一広いサービスエリアへ」の理想を掲げ、標高1,023メートルの手稲山山頂から電波を発射する「マウンテントップ方式」は、その後国内外のテレビ送信所のモデルになりました。
しかし、このような山頂に送信所を建てるには、想像を絶する大きな苦労がありました。

当時(昭和30年頃)札幌でテレビ送信所をどこに建てるかについて、中心部の大通りか、電波伝搬のよい手稲山にするかで喧々諤々の議論が行われ、一方は大通1丁目に、他方HBCの経営陣は、道もなく無謀との声をよそに手稲山を選びました。
その頃の手稲山は人も姿を没する熊笹の繁みの中に、わずかに痕跡を残す山道があるだけで、熊の出没が多いことでも知られていました。昭和31年1月、現地調査を始めるも厳寒と積雪のため難航。
道路の開削が始まったのは5月のことでした。
わずかの細い道をブルドーザーで切り拓き、八合目北大パラダイスヒュッテあたりからの岩盤には多量のダイナマイトを使用。わずか4ヶ月で幅5メートル延長11キロの手稲山道が完成しました。翌年4月の放送開始に向けて、8月、高さ36メートル、重さ8トンのアンテナ鉄塔が7台のトラックで運ばれました。
そして翌32年2月13日、最新型(当時は真空管式)のテレビ送信機が山道入り口に到着。
機器は2台の重量トラックに分散され、昼過ぎに山頂目指して出発しましたが、積雪と急こう配で登れません。急きょ手配したブルドーザーをトラックの前後につけて何とか登ったものの送信所に到着したのは深夜11時でした。

以後トラック輸送はやめ、なんと機器を馬そりに積み、ブルドーザーで引き上げることになったのです。
その後、給水や電力線の設備を整え、調査を始めてからわずか1年4ヵ月という超短期間を経て、4月1日に本放送が始まりました。

同時に始まったのは、手稲山の山頂勤務でした。
当時の送信所には所長以下11名と、まかないのご夫婦合わせて13名が勤務していました。ご夫婦は冬期間、雪上車で山を下りて買い物に行きました。

放送は、午後3時間、夜5時間でした。麓からの通勤は、冬は雪上車で急こう配・急カーブの連続を行きます。道路の除雪が大仕事でした。

新雪の山スキーは楽しい思い出でしたが、近くの送電線の見回りは恐怖でした。
45度の急こう配の山中を、熊よけに灯油缶を叩きながら恐る恐る降ります。
目的地に着くと、灯油缶はすっかりペシャンコになっていました。
堀内さんは、数々の逸話を楽しそうにお話してくれました。

手稲山の道路工事に関わった人員は、延べ3万8,400人、大型重機を多数動員しての大工事でした。


手稲山山頂(2013年)HBC 60周年社史より
いま見上げる手稲山の山頂には最新型のデジタル放送用アンテナが数本立っていますが、テレビ創成期だったおよそ60年前、先人たちは「電波百年の大計のために」との経営方針のもと難工事を敢行しました。
それを成し遂げたものは何だったのでしょう?

山頂には立派な「HBCテレビ完成記念碑」があります。
そこには、「それは周密な計画、近代技術を最高度に駆使した能率的施工と担当者従業員にみなぎる不屈の精神である」と記されています。

堀内さんは、手稲山送信所建設に従事したあと、関西の読売テレビへ移り、HBCでの経験を生かして生駒山テレビ送信所の建設にも関わったとのことです。

講演のあと、かでる2・7の9階西窓には夕闇迫る手稲の山並みが広がっていました。山頂を眺める堀内さんには、万感胸にせまる思いがあったことでしょう。
(文:奥津 撮影:越野 構成:内田) 


夏の「民放クラブの講演会」は、終戦記念日を間近に控えた暑い日の午後、白石区民センターで開かれました。
話してくれたのは、終戦後3年間シベリアに抑留された大正15年生まれの神馬(じんば)文男さん。直前に新聞告知が出たこともあって32度の真夏日にもかかわらず、一般市民のみなさん48人を含めた59人が集まりました。
神馬さんは、太平洋戦争直前の昭和16年12月1日、志願して岩国海軍航空隊に入隊しました。その後、国内だけでなく中国各地に渡り、昭和20年8月10日羅津(らしん、ラジン=現北朝鮮北部=)基地から搭乗した零式水上偵察機が海中に墜落し、数時間漂流したあと朝鮮半島の陸地に漂着しました。
日本人避難民(一般人)とともに、日本を目指して半島を南下しましたが「ダモイ(帰国)」と言われて乗った船は、ソ連のウラジオストークへ向かいます。
そして「飢餓・厳寒・重労働」のシベリア抑留生活が始まったのです。

講演では、①ソ連兵に捕まった時 ②シベリア抑留体験 ③ダモイDomoy(帰国)の三つの話をしますと、92歳とは思えない大きな声で語り始めました。
ご承知のように、日本とソ連は1941年8月、5年間有効の中立条約を結んでいました。
また、ポツダム宣言第9条には「日本国軍隊は、完全に武装解除の後、各自の家庭に復帰し、平和的かつ生産的の生活を営む機会を得らしめるべし」とあります。それにもかかわらず、機関銃を突き付けられ強制的にラーゲル(収容所)に連れて行かれました。
ラーゲルでは、石炭の採掘、森林の伐採、道路の補修、河原での砂利運び、コルホーズでの農作業などのために奴隷の様に酷使されました。

炭鉱には、日本人だけでなく、ドイツやタタールの人もおり、時折彼らからロシア語を教わり、その後意思の疎通ができるようになった。わずかな黒パンを与えられたが、空腹に耐えきれず野草やヘビ、ネズミまで食べた。テント小屋のラーゲルには3年間いたが、マイナス30度のシベリアでわずか毛布2枚、目覚めると隣の人が冷たくなっていたことも珍しくなかった、ということです。

1947年8月、ラーゲルで突然「ダモイ トウキョウ(東京帰国)」と言われ、ナホトカの収容所に移動させられ、「ロシアありがとう、スターリンありがとう」と言わされながら、日の丸を掲げた病院船「高砂丸」に乗船、舞鶴港に帰ってきました。

神馬さんは、70年近くたったいまも、「帰れて嬉しかった。乗船のラッタル(梯子)を上がる時はうれしかった。看護婦さんは皆とてもきれいに見えた」と、あの時の感激を熱く語りました。

会場には、挿絵入りの地図・年表などB4版14ページの詳細な手書き資料も用意されていました。
参加者たちは、貴重な資料を見ながら神馬さんの言葉を一言も聞き逃すまいと耳を澄ませていました。
多くの帰還兵と同様、神馬さんは記憶を封じ込めるように、これまで固く口を閉ざし家族にさえ何も語らずに過ごして来ましたが、戦後70年を過ぎたいま、平和を守るためにシベリア抑留を風化させてはいけないと、真実を語ることをこころに決めたということです。
この日は、シニアだけではなく幅広い年代の方々が集まり、なかなか触れることの出来ない貴重な体験談に聞きいっていました。参加者の中には、抑留体験者を身内に持つ方も複数来場されており、みなさんにとって体験談は他人事ではなく〝ファミリヒストリー〟でもあったことでしょう。
(文:奥津 撮影:越野 構成:内田)



今回は、STV札幌テレビ放送制作技術部の松野史さんを講師に迎えてSTV会議室で開かれました。会場には、いつもの民放に加えてNHKの方など合わせて52名が集まりました。

2018年2月12日、日曜の深夜に高梨沙羅選手が銅メダルを決めたジャンプ。
駆け寄る日本選手たち。あのシーンをご覧になった方は多いことでしょう。
この映像制作にSTVがかかわっていたとは、この話を聞くまで知りませんでした。あんなに日本中が大喜びしたシーン・・・。
オリンピック運営の制約上、ここに詳しく書けないのが残念ですが、ピョンチャン五輪のジャンプ競技では、永年大倉山でのワールドカップ国際映像を制
作しているSTVの実績が認められ関与することになったとのことでした。
筆者も1988年のカルガリー五輪で現地取材を経験しましたが「オリンピック」とくれば断る理由は全くありません。話がきた時の関係者のわくわくした気持ちがよく分かります。しかし、オリンピックの中継は規模が違います。
関係者との打ち合わせは主にテレビ会議ですが、一度だけはヨーロッパまで出かけて行ったとのことでした。
ピョンチャン五輪で競技映像に携わるスタッフは合わせて4,000人で、その中にSTVのスタッフが加わりました、スタッフの国籍は様々です。そして、人員のみの派遣で、中継機材はすべて先方が手配したものを使いますから腕の見せ所です。
中継車はスウェーデン、スーパーループはフランス、そのほかイギリス、オーストリア、ポーランド、ギリシャ、カナダなどが関係しますから、ポジションごとに英語が使える人選が必要でした。

しかも、今回はスノーボード人気の高いアメリカと、ジャンプ競技の観戦者が多いヨーロッパに配慮して欧米のゴールデンタイムに生中継するため、競技時間はアメリカ東部・北欧時間となりました。高梨選手のジャンプは22時からでしたよね。
ですから、朝から外でスタンバイするスタッフは寒さとの戦いでした。深夜に行われたジャンプはマイナス20度だったそうです、ほんとうにお疲れさま。
その分、ロジスティックス(食事・宿舎・輸送・装備)は良く準備されていました。中継車のすぐそばに食堂があり、寒い中動くスタッフを勇気づけてくれたそうです。
STVはジャンプ台で行われた競技を担当しましたが、中継カメラはなんと26台。
98年の長野五輪は14台、72年の札幌五輪は4台ですから、細やかな配慮で作られた映像が、関係者の高い評価を得たのもうなずけます。
朝から夜遅くまでよく動いた、ピョンチャン五輪の25日間でした。

最後に見せてくれた映像は、ジャンプ台に集まったスタッフおよそ 100人の笑顔です。
講演会では、豊富な映像でスタッフの仕事ぶりが紹介され、話をしてくれたのが制作技術のプロフェッショナルだっただけに、とても楽しい報告会でした。
(文:奥津 写真:越野・内田 構成:内田)







朝鮮半島では、韓国の文在寅大統領と北朝鮮の金正恩朝鮮労働党委員長による南北首脳会談が行われていました。

計算したように、まさにこの日、今年度初の「民放クラブの講演会」が、北海道新聞編集局編集本部次長の橋本克法さんを講師にお迎えして「かでる2・7」で開かれました。
 
橋本さんは、2月末までワシントン支局に勤務されていました。
最新の情報分析をしていただけるという期待感から、会場には一般参加の18名を含めて40名の皆様にお集まりいただきました。

「トランプの二転三転する言動に世界は振り回されてますが、全ては11月の中間選挙での勝利と、2020年の大統領選での自身の再選が念頭にあるのです。
そうと考えると真意が理解できます」と橋本さん。
このポイントに沿って、2016年の大統領選挙から現在の支持率まで細かくデータを用意したお話には説得力があり、会場内では、終始カツカツとメモを取る音が響く、まさに「勉強会」の様相でした。

近く想定されている初の米朝首脳会談については「米朝首脳会談はどちらに転んでもトランプにとって優位に働く。成功すれば歴代大統領がなし得なかった実績を積むことになるし、破談になり仮に武力行使をすることになっても、強い大統領をアピールすることが出来る。戦時下の大統領の支持率は高い」とのこと。

今回の講演では、トランプ政権の復習と予習をさせていただいたカタチになりました。
参加した皆様からは「トランプ政権内部の事情がよく分かった。特に人間関係」「今後、きょうの話を頭の片隅に置いて新聞やニュースを見ると、理解もさらに深まる思う」などの声が寄せられました。

だから、政治は面白い・・・のですね。
(文:西野 写真:越野・内田)


市民に公開して2回目となる「民放クラブの講演会」は、小正月に当たる15日、札幌駅北口のエルプラザで開かれました。
講師は、北海道放送・報道部で活躍された大先輩の小林敬明さん。ご自身がHBCを卒業したあと傾倒している「ロマネスク文化」についてお話しいただきました。
ロマネスクは、10世紀末から12世紀にかけて西欧に広まったキリスト教の美術様式。
小林さんはHBC卒業後、札幌のカルチャーセンターで出会った「ロマネスク芸術」に引き込まれ、2000年からほぼ毎年ヨーロッパ各地を訪れているそうです。
  サン・キルク礼拝堂(スペイン)

撮影準備中の小林さん
サン・クリメント協会(フランス)
  タンパン浮彫(サント・フォア教会)  
  サント・フォア教会(フランス)  
講演会は、ヨーロッパ各地で小林さんが撮影した動画映像を見ながらナマで解説する形式で行われ、フランス、イタリア、スペイン、スイス、ドイツ、イギリス、アイルランドの美しいロマネスク建築が次々と紹介されました。

「ゴシック」建築は大都市の中心部にあり「高い尖塔と豪華なステンドグラス」で知られていますが、その前の時代の「ロマネスク」教会は修道士の静謐な祈りの場であることから山間部などに建てられ「壁が多く窓が少ない」シンプルな建築が特徴です。

そのため、ロマネスク建築はいわゆる観光地から離れたところに多く、毎回山道をたっぷり歩く巡礼のような旅が多かったそうです。

また、ロマネスクは建築だけでなく、例えば柱頭(柱の上部)やタンパン(建物入り口上部の壁)の浮彫・彫刻などにも独特のユニークな表現があり、各地の代表的な作品が豊富に紹介されました。

おしまいはバチカンやエルサレムとともに、小林さんが最も感動したというサンチャゴ・デ・コンボステーラです。
北スペインにあるキリスト教三大巡礼地の一つサンチャゴ・デ・コンボステーラでは、毎年7月25日に盛大なミサやお祭りがあり、見事な映像とともに紹介されて講演の最後を飾りました。
 
講演会は休憩を挟んでおよそ2時間。
小林さんが自ら撮影し編集した大作のDVDに、参加者らは時間を忘れて見入っていました。

また、小林さんと同様にロマネスクを愛好している、同じくHBC・OBの船越一幸さんも参加。船越さんの著書「ロマネスクの社会を散歩する」が抽選で参加者に贈呈され、映像とおしゃべり、そして文章でも西欧の中世建築に浸れる絶好の機会となりました。

なお、今回は41名の参加があり、そのうち新聞を見て駆けつけた一般市民の方々は15名いらっしゃいました。
次回は2018年春開催の予定ということです。  (文:奥津 写真:小林・越野)

紀行文の「旅のつれづれ」に小林さんから「私のロマネスク」が寄稿されています。
その中には高画質版の記事がありますのでこちらをご覧ください。





第4回まで続いた「勉強会」が、今回から「民放クラブの講演会」として、一般公開で再スタート。札幌駅北口のエルプラザ会場には、市民の方々を含めて51人が参加しました。
 


講師は、2017年5月まで JNN - HBC 北京支局に勤務したHBC報道部の枡崎 仁 記者。中国で2年半取材した中で感じた数々の裏話を披露してくれました。
 
北京支局の仕事は、中国国内の出来事や事件事故の取材だけでなく、最近は、北朝鮮関連の取材が増えているとのこと。北朝鮮へは北京空港経由が多いためで、空港でのアントニオ猪木議員のインタビュー映像も交えながら紹介しました。
広い中国各地への取材は空路ですが、外国の取材スタッフは国内線でもパスポートが必要で、ゲートで細かいチェックを受けるため、フライトの90分前には空港へ行かないと乗り遅れてしまうとか。

中国での話は「想像を超える物価高」「中国メディア事情」「中国人の金銭感覚」と広がります。
ことし前半話題になった「森友学園問題」。中国人のスタッフから「なぜ100万円くらいのお金で問題になるのかわからない」と言われたとか。
中国では付け届けは当たり前の習慣で、小学校の先生でも一人100万円くらいは普通に受け取っているという。思えば日系企業の製品発表会に取材に行った時、中国メディアに、いわゆる車代(現金)を渡しているのをよく見かけた。
摘発された元最高指導部メンバーの不正蓄財額が「2兆円」というから、14億人が住む広く大きいお国柄ならではの金銭感覚なのだろうか、と感想を述べていました。
おおらかな中国ならではの話は続く。2015年8月の「天津爆発事故」。
ポロシャツ姿で取材に行ったら、現場に取材規制線がなく爆発現場近くまで自由に行けたが。そこには危険なガスが流れていたとの情報で、あのサリン事件の時のような防護服を着た軍人が大勢現れ、クルー全員「死の覚悟を決めた」取材だったそうです。

2015年12月、人権派弁護士の裁判取材に行ったときのこと。スタッフの中国人カメラマンが規制中の警察車に連れ込まれてボコボコにされ、中国を愛していた彼が「日本がうらやましい」と涙ながらに語ったことなど、現場でしか体験できない生々しい話を聞かせてくれました。
最後に、最近の中国の「四大発明」とは ①高速鉄道 ②シェア自転車 ③ネットショッピング ④電子決済のことだそう。
電話線が引けない広い中国だけに、ネットショッピングやスマホは広く普及。
北京では屋台で買い物をしてもスマホで代金を払えるため、財布を持たない若者が増えてきたが、それはニセ札対策でもあるなど、日本では聞けない話題を提供してくれました。

およそ1時間半、休みなく語った枡崎記者「中国は、最近欧米で続くようなテロは全くなく楽しい2年半でした」と話し、詰めかけた参加者からねぎらいの大きな拍手が送られていました。
(文:奥津 写真:越野)





12 15 日、世界の目が山口県での安倍首相とプーチン大統領の会談に集まりました。

両首脳が膝をつき合わせた二人だけの会談で、戦後70 年余を過ぎた歳月の重みをどう解決させるのか?

国民の期待は元島民を始めさまざまでしたが、会談の成果は北方領土をめぐって、共同経済活動や両国間での特別な法制度の協議を開始することで合議となりました。

日本とロシアの70 年の空白の歴史に真剣に取り組む両首脳の態度に、領土問題がもりこまれていないと批判の声もあるようですが、両国の未来への出発点として前向きな姿勢と評価する声が多いようです。
それにしても、日本と国境を接し一番近い国「ロシア」のことを、私たちはあまりにも知らなすぎではないでしょうか。

幕末から日露戦争、第二次世界大戦、いろんなことが日本とロシアの間にはくりひろげられました。

しかし「ロシア」はほとんど謎の国。判らないことばかりです。
敵を知り、己を知る・・・まず、相手のことを知りましょう。


STV元特派員の山内康次さん

社会活動部会の第4回時事勉強会は、プーチン大統領の来日を前にして日ロ関係の現状をテーマに、STV 元モスクワ特派員で現在は報道部ニュース編集長の山内康次さんを講師に招き、実際にロシアで見たこと、感じたことをお話しいただくことにしました。


質問をする北海道民放クラブ和田会長

会場は満席の40 人の聴衆で埋まりました。山内編集長はニュース編集のベテランだけに、北方領土の問題、プーチン大統領の国内の立場、ロシアの国内経済、海外でのロシアの影響力、さらに国民の生活状況・・・次からつぎと映像を駆使して流れるように解説され会場を魅了しました。

とくに、国後・択捉の軍事的役割や主権をめぐるロシアの立場など、日ロ首脳会談での問題点の指摘は適切で感銘させられました。

人口1億4,000 万人、日本の45 倍ある世界一広大な国土。国民の平均月収は5 3,000 円。この国と付き合うためには・・・?
山内康次・元モスクワ特派員の講演に考えさせられた2時間でした。

(文:和田 写真:越野)






  イギリスの EU 離脱が国民投票で決まるという、歴史的なニュースが世界を駆け巡った・・・。

いつもタイムリーな話題を提供する、北海道民放クラブの時局勉強会は「激動の欧州 最前線リポート」
と題して、札幌・かでる27で開催された。

講師には、この3月までANNロンドン支局特派員を務めたHTB北海道テレビ放送・報道部の及川大地記者。
満員の会場は熱気ムンムン状態である。

及川記者は担当した3年間を丹念に振り返り、報道ステーション等で放送された中継映像をたっぷり使って話された。

最初の2013年は、英王室にジョージ王子誕生と2020年の東京五輪決定。2014年は、シリア内戦・クリミア編入問題のほか、ノーベル物理学賞を3人の
日本人が同時受賞。2015年は、フランスの新聞社銃撃テロをはじめとする「イスラム国」によるテロ攻撃の激化・シリア難民の急増のほか、シャーロット王女の誕生・2人の日本人がノーベル生理学医学賞と物理学賞を受賞。及川記者が担当した、これらのニュースについて解説した。
ロンドン支局はイギリスが守備範囲と思いきや、欧州全般はもとより、トルコ・シリア・リビアまで飛び回っており、いわば「欧州・中近東支局」じゃないかと思った。
また中継車がなくても、その国の携帯電話ネットワークを使う背嚢形の「TVU」という簡易映像伝送システムを駆使し、まさに報道記者も戦士さながらだ。
さらに「TVU」とスマートフォンで2画面構成もするという。
今更ながら、中継技術の進歩と簡易化にはびっくり仰天だった。

質疑応答では、参加者からEU加盟国への波及・ヒットラー再来の危惧・夢に見た〝ローマ帝国後の欧州統一〟への失望・直接民主主義の危うさ・日本への影響などが語られる。
「21世紀はテロと難民の世紀」を予感させる、中身の濃い勉強会であった。
(文:上野 写真:長谷川・内田)





参加者  HBC: 内田・榎本・奥津・小野垣・柏倉・川島・木宮・桑畑・越野・小林・柴田 
    薗田・多田夫妻・竹田・建部・谷口・鳥羽・冨原・長原・羽生・藤井・山崎
    松原・和田    STV:北上・北島・佐藤・平松
  HTB: 上野・長谷川  UHB:上澤・鹿股・難波  Air-G:中田・湊
  ゲスト: 石井・北田

社会活動部会では2月の 中国事情」につづいて、今回は「イスラム国の現状」をテーマに、1214日(月)時事勉強会を関催しました。 

イスラム国をめぐるトラブルが相次ぎ、特にフランス、パリのテロ事件の惨劇が記憶に新しいだけに会員の関心が高く、会場の「かでる27」は、ほぼ満員の盛況ぶりでした。

講師は、北海道新聞経済部次長の小林基秀さん。

編集委員を経て平成24年から3年間カイロ特派員として駐在し、イスラム各地から生々しいニュースを送っていました。

アラブの春以来、アラブ社会各国は激しく揺れ動き、シリアをはじめとする難民が欧州各国になだれ込みました。テロの悲劇が世界中に飛び火しています。小林さんはエジプトを中心に、イスラム過激派が活動するシリアやイラン、アフリカのスーダンと広い地域をカバーしました。
取材は戦火が飛び交う地域や、内戦が激しい国々にもおよび、この日は取材先で撮影した映像を見せながら歯切れの良い解説を披露。聴衆を引きつけました。

19世紀の世界大戦は植民地をめぐる争い。21世紀の大戦は宗教、民族の誇りを掛けた争いといわれます。
ロシアの戦闘機をトルコが撃墜、サウジアラビアとイランが国交断絶と紛争は広がっています。

私達日本人にはなかなか理解できない中東の世界を、垣間見ることができた勉強会でした。

(文:和田 写真:長谷川)







50年に一度の大雨に襲われて次々と堤防が決壊し、泥水に流される家の屋根で自衛隊ヘリに助けを求める夫婦。電信柱にしがみついて濁流の中で手をふる男性。テレビの映像は災害の恐ろしさを同時刻で壮絶なまでに伝えました。
災害は忘れたころにやってくる、といいますが東北を襲う災害は記憶にまざまざと新しいうちに次々とやって来ます。
社会活動部会の沢井貴良子さん(HBC)は4年前の東日本大震災のあと、被災した子供たちに義捐金を贈るため、毎年、朗読会をつづけてきました。

ことしも秋の気配が漂いはじめた9月9日、札幌の中島公園にある北海道立文学館で「東日本大震災復興支援 沢井貴良子朗読会」を開催しました。

共演は、ヒューマンドキュメント「命の記憶」で芸術祭大賞受賞の安藤千鶴子さん(HBC)、フィンランドの民族楽器カンテレ演奏家のあらひろこさん。
会場一杯、130人の拍手に迎えられプログラムは進められました。

沢井貴良子さんの朗読作品は、加藤多一・作「馬を洗って」、新美南吉・作「うた時計」。表現豊かな、しっとりとした語り口に会場の人たちは魅せられたように聞き入っていました。魅惑的なカンテレの響きが、語りを盛り上げてこだまします。

朗読の合間に、大災害のあと遅々として進まない被災地の人々の悲しみを伝える、詩と作文「かぜのでんわ」から『被災地より』を安藤千鶴子さんが朗読しました。

語りの名手、安藤さんの朗読は、淡々とした中、溢れんばかりに情感がこもり、被災他の人々の悲しみが惻々と伝わって胸を打ちます。思わずハンカチを手にする人も見られました。
朗読会の義捐金は災害地の子供たちへ贈られました。      (文:和田)








さっぽろ雪まつりのオープンを翌日にひかえ、なんとなく街中がざわめいていた2月4日(水)北海道民放クラブ社会活動部会では、最近の日中関係について勉強会を開催しました。

社会活動部会では、時折時宜に適した社会問題を取り上げ、部会のメンバーで勉強会を開催してきましたが、今回は枠を広げクラブのほかの方にも参加していただき、勉強しようと呼びかけました。
会場はリンケージプラザで、35 名が参加しました。
札幌市の施設リンケージプラザは、ことし3月で取り壊され移転することになるので最後の利用となります。

講師は、HBC報道部山岡英二さん
テーマは、最近著しい経済発展をつづけている隣国「中国」の実情はどうなのか? 本当の姿はどうなのか?

講師は、北京特派員の任期3年を終えて1月に帰国した、HBC 報道部山岡英二さん。フレッシュな目で観察した中国の真実が、立て板に水のように語られました。

積極的平和主義のかけ声で、安倍内閣は積極的に周辺諸国へ外交戦略を展開しておりますが、中国も、韓国も、北朝鮮も、かたくなに口を閉
ざして語りかけてはきません。テレビでは反日の旗を掲げたデモ隊が抗日を絶叫しています。
その一方、最近の日本のホテルには中国語が氾濫し中国からの観光客が買い物袋を抱えて右往左往しております。
豊かに発展する最近の中国の裏側をリポートしました。
 
山岡さんは、学生時代に中国留学もしており中国語が堪能で、中国人の心理や内側の分析も的確に思えました。中国の驚異的な経済発展の裏側にあるもの、中国の現在と未来へのするどい洞察は聞く者に感銘を与えてくれました。
   
そして、政治面や海洋進出で日本やフィリピン、領土問題でベトナムやカンボジア等、周辺諸国と摩擦を起こす現状について、聴衆の矢継ぎ早な質問に的確明快に答えていたのが印象的でした。
参加者たちは中国に対する新たな認識を学ぶことができ、活発な討議とともに実のある2時間を過ごし、盛大な拍手で締めくくりました。
(文:和田 写真:内田)